毛皮というと、富の象徴のように見られます。
昔は、ミンクとかを狩りして、それを毛皮にしていたけれども、
今は、育てて毛皮にするというやり方になっているわけです。
表現はひどいですが、動物の養殖、のようなものです。
どうして、こんな話をし始めたのかというと、
先日のニュースで、毛皮メーカーが焼酎を作った
とのニュースで、かなりの違和感を感じたからです。
オレは、毛皮を着たいとも思わないので、
興味のない世界だったのだけれども、
それでちょっと調べてみたわけです。
そうしたら・・・
いやはや・・・ここでもシナですか・・・
今回はシナの事ばかりを言っていられない。
日本人は常に意識が遅れていることを知るべきだ。
欧米で反対運動が広がりを見せていても、
それが日本に浸透することを阻止しているのだ。
それは、彼らの商売にかかわることだし、
在庫も抱えているからだろう。
どうもその辺の感性に、かなりの鈍さがあるのでは
とあまり好まない批判的な感覚を持っているのは事実です。
カネが入れば、成金の証明として、
宝石を買ったり、高級時計を買ってみたり、高級バッグを買ったり、
ブランド物を買ったり、車を買ったり、家を買ったり、
別荘を買ったり、自宅に金庫を置いてみたり、
愛人を囲ってみたり、
と、欲望を満たそうとします。
その中に毛皮というのはどうしても入ってくるのでは
という気がしてなりません。
オレは、毛皮を買いたいと全く思わない。
理由は単純で、生きる権利をふみじられた生命は
どのようにして生きてきたのか、
一体どういう思いで死を迎えたのだろうか
それは自分では到底想像できないものだと思うからだ。
毛皮なんかなくても生きてゆけるし、
そんなものがなくても成金を示すことは出来る。
宝石とかで十分じゃないかと思うよ。
宝石なら、苛酷な労働環境にあったとしても、
少なくとも、その人たちの賃金にはなる。
末端が可能な限り悲劇にならないのがいい選択だと思う。
生きる権利を踏みにじった企業の末路は武富士となるわけだ。
だからこそ、どこかでは、弱者への理解が必要なのだ。
それが、生きるポリシーみたいなものなのだ。
ただ、生きるポリシーがあれば金持ちになれるかというと、
それは、残念ながらないと思う。
下手すると、貧乏の言い訳にポリシーが使われかねない。
だから、金持ちになりたいなら、なっているなら、
何らかの生きるポリシーでバランスを取らなければいけないと思う。
毛皮は止めましょうとは強制はしないけれども、
一度考え直してみることは必要だと思う。
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